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神戸地方裁判所 昭和61年(行ウ)23号 判決 1989年1月26日

原告

甲田花子

右訴訟代理人弁護士

相馬達雄

被告

加古川労働基準監督署長

佐脇一郎

右指定代理人

小西明

中島義宣

北良介

原田啓三

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五七年八月五日付で原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  甲田信(昭和二三年七月一七日生、以下「信」という。)は○○金属有限会社(代表取締役は信の実父である甲田平、以下「会社」という。)に雇用されていた労働者であり、原告は信の配偶者である。

2  信は、昭和五六年五月三〇日午後一時ころ、会社の業務命令により会社構内(兵庫県明石市鳥羽一九〇三番地)宿直棟に居住し、夜間の会社警備及び会社設備の保全等の業務に当っていたところ、会社敷地内で実兄である甲田太郎(以下「太郎」という。)に包丁で背部を刺され(以下「本件災害」という。)、同月三一日午前五時四〇分出血多量のため死亡した。

3  原告は同年六月一九日被告(当時の名称「高砂労働基準監督署長」、以下同じ。)に対し、労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料の給付請求をしたところ、被告は同五七年八月五日付で右遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の決定をした(以下「本件処分」という。)。

そこで、原告は同年九月八日、兵庫労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、右審査請求は同五八年三月一五日棄却された。さらに、原告は同年七月二〇日、労働保険審査会に再審査請求をしたが、右再審査請求も同六一年五月七日棄却され、右裁決書謄本は同年六月七日原告に送達された。

4  しかしながら、本件処分は以下に述べるとおり違法である。

会社及びその敷地内の工場は人家から離れた場所に位置しているため、同工場内の高価な資材には盗難のおそれがあり、また、電気設備に故障が生じれば翌日の操業に支障があることから、特に夜間の宿直業務が不可欠であったため、信は会社構内の宿直棟に居住し、終業後の午後六時から始業の午前八時までの間、会社工場警備の一切を任されており、夜間少なくとも一回の巡回をしていた。このため、信には宿直給与として月額一万五〇〇〇円が支給されていたほか、家賃及び光熱費は無料とされていた。また、社長である甲田平からは、右宿直業務につき身体及び生命に対する危険を考慮して、盗難、強盗などの際には社長に連絡し、あるいは警察に援助を求めるにとどめ、自ら自衛行為に出ないよう指示されていた。そこで、本件災害当夜も太郎が会社工場内で暴れているのに気付いた信は、太郎の動静を監視するとともに、社長に連絡し、太郎の乱暴によって会社工場内に被害がないかを点検した後、太郎が静かになったので、再度会社工場内を点検しようとして宿直棟を出た途端に本件災害にあったものであり、本件災害はまさに業務遂行中に業務に起因して発生したものであって、業務上の事由による災害である。偶然にも加害者の太郎は信の実兄であったが、このことは信の業務内容及び本件災害当夜の行動からみて、本件災害の業務遂行性及び業務起因性になんら影響するものではない。

5  よって、原告は被告に対し、本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち、信が会社構内の宿直棟に居住していたこと、同人が原告主張の日時に本件災害にあい、死亡したことは認め、信が本件災害当時会社警備及び会社設備の保全等の業務に当たっていたことは否認する。

3  同3の事実は認める。

4  同4は争う。

本件処分は以下に述べるとおり適法である。

本件災害は宿直勤務中における刺傷事件であるところ、信の警備業務は施設への侵害防止と施設の保全を目的としており、その内容は一般の宿直勤務とかわることはなく、また、盗難、強盗の際は社長に連絡し、あるいは官憲の援助を求める措置にとどめ、自ら自衛行為に出ないよう指示されていたことからすれば、本件災害のような、業務に伴う危険を予想できる業務ではなかった。仮に、信の災害当夜の行動が通常の宿直勤務における警備業務に該当するとすれば、工場等の破壊行為がされておれば、通常社長に連絡するか、あるいは警察に通報するなどの措置を取ると考えられるところ、信は午後九時三〇分ころ、会社工場建物や機械設備に対する破壊行為の実行者が太郎であって、外来の不審者でないことを認識していたことから、警察への連絡もせず、会社工場建物や機械設備が一部破壊されていることを発見しながら、実父である社長甲田平へ連絡するにとどめ、太郎の乱暴行為がなお継続している中で入浴し、入浴直後に下着一枚で屋外に出たところを太郎に刺されたものである。すなわち、信の本件災害当夜午後九時三〇分ころ以降の行動は、会社の警備業務としてされたものではなく、父甲田平から家族の一員として特に依頼を受けていた精神障害者である実兄太郎の監視ないし保護のための行動であり、本件災害は、信が肉親であればこそ警察に通報することなく、太郎の乱暴行為が収まるのを待とうと配慮した結果、不慮の災害として発生したものであって、通常の宿直勤務及び警備業務に随伴する事態が発生したことによる災害ではない。さらに、本件災害の発生原因は、精神状態の不安定な太郎が泥酔していたことに加えて、父甲田平と太郎の喧嘩の仲裁に入った信を恨んでいたという太郎の潜在意識によるものであり、家族間における私的行為中の災害というべきものである。

したがって、本件災害は業務起因性を欠くものであり、「業務上の事由」による災害には当たらない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実、同2のうち、信が会社構内の宿直棟に居住し、昭和五六年五月三〇日本件災害にあい、翌日死亡したこと及び同3の事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、本件災害が業務上の災害にあたるか否かについて判断する。

まず、業務上の災害と認められるためには、労働者が労働契約に基づいて使用者の支配下にあり(業務遂行性)、かつ、当該傷病が業務を原因として生じたものであって、業務との間に経験則上ないしは社会通念上予想される相当因果関係が存しなければならない(業務起因性)。

そこで本件災害についてこれを検討する。

前記一の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

信は、昭和四六年六月に父親の甲田平(以下「平」という。)が代表取締役となっている○○金属有限会社に入社し、その後技術部長として主に技術及び設計の業務を担当していたところ、同四七年以来会社工場内の宿直棟に居住し、終業後の午後五時から始業の午前八時まで宿直業務にも従事するようになり、同四九年五月原告と結婚してからも同様の業務を続けていた。右宿直業務の内容は、時間外に納品に来る者との応待、その他夜間に会社工場内を少なくとも一回巡回し、電気系統の点検等をすることなどで、異常を発見した場合は社長に連絡することになっていた。また、盗難、強盗などの事故が発生した際には、身体及び生命の危険を考慮して、社長に連絡し、あるいは官憲に援助を求めるにとどめ、自ら自衛行為に出ないよう指示されており、そのため、以前会社工場内に不審者が侵入した際にも、信は直ちに警察に通報するとともに、社長の平に連絡したことがあった。なお、右宿直業務に対する報酬として月額約一万五〇〇〇円の手当が支給され、そのほかに家賃、水道及び電気代を会社が負担していた。一方、太郎は(昭和四九年ごろ交通事故にあって以来、関係・注視妄想などの症状が生じて精神状態が不安定となり、精神分裂病と診断されて同五〇年七月から同五五年七月まで七回にわたって佐野サナトリウムに入退院を繰り返し、さらにその後も通院して治療を受け、その間に妻と離婚した。そこで平は、単身となった太郎を保護、監督すべく、同五四年ころ、会社工場内の二階の食堂の一部を改造して太郎を居住させ、体調のよい時には会社の工場で働かせた。平は信に太郎の保護、監督を特に依頼したことはなかったが、太郎が信の実兄にあたることから、太郎に万一のことがあった場合には信が監護してくれることを期待して、会社工場内に太郎を居住させたものである。太郎は以前会社の同僚と喧嘩したことがあるほか、本件災害の三日程前、夜間会社構内で三時間以上もオートバイのエンジンを空ぶかしし騒ぎを引きおこしたことがあった。また、同人は会社工場で研磨工として働いていたが、勤務状態はあまり良くなく、特に同五六年二月ころ病状が悪化して精神状態が一層不安定になってからは、長期の欠勤をするようになり、しばしば飲酒することもあった。このため、信は原告に対し、太郎に子供を近付けないようにと注意をしていた。信と太郎の兄弟関係は特に悪いということはなく信は太郎の日常生活の世話をすることはなかったものの、会社内で孤立しがちな太郎に話しかけるなど気を配っていたが、同五五年一〇月、太郎が母親に暴力をふるい、止めに入った平と喧嘩になった際、信がその仲裁に入ったことから、同人に対し太郎が「わしはお前が止めに入ったことを忘れへんで。」と常々言っていた。このようなことから、信は本件災害の少し前から平に対し、会社を退職して他に移りたい旨の意思を表明していた。

信は、同五六年五月三〇日午後九時過ぎ、焼酎に酔った太郎が会社構内で騒いでいるのを発見したが、制止などはしないで、その動静を注視していたところ、間もなく同人が静かになって自室に戻ったので、工場の見まわり点検に出たが、特に異常は認めなかった。そして、一〇時ころ、太郎が大声で叫びながら会社工場の壁をたたいているのに気付いたが、やはりそのままにしておき、同人が静かになったところを見計らって、工場内を点検したところ、水道用タンクのスイッチ、メーター等が壊されているのを発見したが、その日のうちに修理することが困難であると思われたので自宅に戻って入浴した。その後もなお太郎が工場内で騒いでいる様子だったので、信は平に連絡しようとして同人宅に電話をかけたが、途中で原告と替わり、表に出た途端、太郎に背部を包丁で刺され、救急車で病院に運ばれたが、翌日午前五時四〇分ころ出血多量で死亡した。なお、表に出たとき、信は入浴後でもあり、下着一枚の軽装であった。

右の事実によれば、信は会社の業務命令により、報酬を得て、会社構内の宿直棟に居住しながら、終業後の夕方から翌朝の始業までの宿直業務にも従事していたもので、本件災害当夜も右業務に従事して本件災害にあったものであるから、業務遂行性は認められる。そして、特に太郎との兄弟関係が悪かったという事情はなく、本件災害が太郎の精神状態が非常に不安定で、かつ飲酒したうえでの暴行によるものであったことからすれば、会社工場建物等の破壊行為をしていた者がたまたま信の実兄であったからといって、このことから、直ちに業務起因性を欠くものとはいえない。しかし、信は平から盗難、強盗の際には平に連絡するか、あるいは官憲の援助を求めるにとどめ、自衛行為に出ないよう指示されており、現実に以前挙動不審者を工場内で発見したときには、直ちに警察に通報したにもかかわらず、本件災害時においては、会社工場内で暴れているのが太郎であることを認識していたため、水道用タンクの設備が破壊されているのを発見しながら、警察に通報せず、太郎の行動を制止することもしないで放置し、入浴を済ませてから平に連絡するにとどめ、軽装のまま屋外に出ていること、信は平から太郎の監督の依頼を受けてなかったものの、従前から太郎に話しかけるなどし、特に太郎の病状が悪化してきた同五六年二月ころからは、原告に対し、子供を太郎に近づけないよう指示するなど、太郎に注意を払ってきたことなどからすれば、本件災害は、信が太郎に対する肉身の情から、通常の警備業務中に会社工場施設の破壊行為者を発見したなら取るべきである行動を取らなかったため発生したものであって、通常の宿直勤務及び警備業務に随伴又は内在する危険が発生したことによるものではないというべきであるから、業務起因性を欠くものというほかない。したがって、本件災害は業務上の災害には当たらない。

三以上の次第で、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中川敏男 裁判官野村利夫 裁判官松井千鶴子)

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